5月12日から長野の善光寺で「野生司香雪展」が開催されます。

―初転法輪寺の大下図が再び展示公開されるー

長野市仏教会が、コロナ禍一年遅れの創立80年、第100回花まつり記念事業として「サールナート(インド四大聖地)に仏伝壁画を描いた画家 野生司香雪」展を開催します。

長野県は香雪の終焉の地。香川生まれの香雪と長野のご縁は、インドの壁画制作から帰国直後に善光寺の納骨堂雲上殿に壁画を描くことを依頼された時でした。

香雪は、初転法輪寺の壁画を描く際事前に仏教学者らと協議し二十程の画題を決めて出発しましたが、その中の「仏教世界伝播の例としての聖徳太子像」は現地で描かずに帰国していました。それは、日本人、日本の仏画家としてそこに聖徳太子を描くことよりも世界の仏教の立場に立って、仏陀の生涯の壁画に特化したからだと考えられます。そして世界の仏伝になりました。

ご本尊が6世紀に日本に仏教が初めて伝えられた際の仏像という縁起物語を持つ善光寺からの依頼は、香雪には渡りの船でした。ここに聖徳太子像を描き、ご本尊の物語を根拠にしたもう一つの日本仏教発祥の聖地として善光寺とサールナート聖地を己の仏画でつなぐ。香雪はひそかに構想を練ったに違いがありません。そして善光寺縁起物語を仏教東漸の歴史の物語とし、最後に象徴的な場面として聖徳太子と仏陀を対面させた壁画を描きました。それは、2,600年前からのインド聖地と1,500年前にインドから渡来という本尊を持つ善光寺の壮大な時空を超えた物語の完成、始まりにもなりました。

雲上殿壁画完成時60歳を超えていた香雪は、その後戦災で焼失した東京には戻らず長野にとどまり、善光寺に博球を招来するなと活動、その後は渋温泉に移り、好きな絵を描き酒を楽しみ余生を送りました。

今回は香川展では展示しなかった永平寺所蔵の初転法輪寺の大下図、また併せて長野で描かれた仏画等も併せて展示されます。また、今回本会は協賛として参加します、初日の5月12日午後2時から本会顧問でもある永平寺の南澤道人貫首による香雪没後50回忌法要等、また事務局溝渕が記念講演を担当します。