野生司香雪とインドの仏伝壁画

野生司香雪は、日本が急激に西洋化を目指した明治初め頃に香川県の僧侶の長男に生まれ、縁を得て東京美術学校に進み日本画家を志します。しかし当時の新旧勢力の争う画壇には彼の居場所はなく画壇から離れますが、その後に不思議な縁を得て香雪はインドで仏伝壁画を描き世界的に知られる画家となり、長野県で波乱にとんだ人生を終えました。

香雪は出自からか仏教の信仰心や造詣が深く、当初から仏教を題材とした作品を描きました。そして活路を見出そうと仏教美術研究のため訪れたインドで偶然にアジャンター壁画模写事業に向かう荒井寛方に出会い誘われて参加。その体験から描いた屏風「窟院の朝」が高い評価をうけますが、それが画壇での最初で最後の輝きでした。

しかし47歳の時に奇縁を得てインドでの仏教再興を願い聖地サールナートに建立された初転法輪寺の仏伝壁画の揮毫を任され渡印。仏陀への奉仕と精進し苦節の末に助手に助けられ描き上げた壁画は、いまではインド人には国の歴史画、世界の仏教徒には「サールナートの仏伝」として広く知られ、世界の文化遺産と言われています。

その壁画も完成から83年、寺院では香雪の精神をつぐ日本、日本人の手で保存修理をと長年呼びかけてきました。そこで非力ですが私達からまず声を上げ、皆様のご支援を仰ぎ、その実現を目指します。

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